原歌:
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ
作者は権中納言定家こと[97]藤原定家。権中納言にまで昇った。小倉百人一首の撰者とされてきた。
上の歌は建保六年の内裏歌合に提出されたもの。万葉集の長歌を本歌とする。
父は[83]藤原俊成。[87]寂連法師は父方の従兄であり、父の養子であるため義兄でもある。また、同じく父方の従兄に[81]徳大寺実定がいる。
妻に[96]西園寺公経の姉がいる。
[93]源実朝の和歌の師であった。
姉の竜寿御前が[89]式子内親王に仕えている。定家と式子内親王が恋仲であったという俗説が後に広まった。
今年に入ってから昨日までに、「贋の葉を描く」、「95.身の程知らずな願い事」への拍手をいただきました。ありがとうございます。