原歌:
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
作者は[89]式子内親王。後白河天皇の娘。
上の歌は「百首の歌の中に忍恋を」とある。
同母姉に亮子内親王がおり、[99]後鳥羽天皇の准母となり、院号宣下を受けて殷富門院と呼ばれている。[90]殷富門院大輔はこの亮子に仕えた。異母兄には二条天皇がおり、[92]二条院讃岐が仕えた。
また、伯父に[77]崇徳天皇がいる。
東宮時代の[100]順徳天皇の准母となる話もあったが、実現しないまま没した。
[97]藤原定家の姉である竜寿御前が仕えていた。定家と式子内親王が恋仲であったという俗説が後に広まった。