新規公開:76.まるで雲の上を

2021-06-16

小倉の集い

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「小倉の集い」
 …「76.まるで雲の上を」

原歌:
わたの原こぎいでて見れば久方の雲ゐにまがふ沖つ白波

作者は法性寺入道前関白太政大臣こと[76]藤原忠通。鳥羽天皇から後白河天皇まで、4代の天皇の摂政・関白を務め、太政大臣には2度就任している。晩年に法性寺で出家し、円観と号す。
上の歌は[77]崇徳天皇の在位中に、「海上眺望」を題として詠まれたもの。船出や航海が何かの比喩となっているわけではない。

娘の藤原聖子は、[77]崇徳天皇の中宮となり、後に女院となって皇嘉門院と呼ばれている。[88]皇嘉門院別当はこの聖子に仕えた。保元の乱においては、[76]忠通は後白河天皇方として、[77]崇徳上皇と敵対している。
その他、子に[95]慈円(前大僧正慈円)、孫に[91]九条良経(後京極摂政前太政大臣)がいる。

元服に際して名づけ親となったのは[73]大江匡房であった。
「契りおきし」の歌を送ってきた[75]藤原基俊は祖父のはとこに当たる。

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