原歌:
難波江の芦のかりねの一夜ゆえみをつくしてや恋ひ渡るべき
作者は[88]皇嘉門院別当。[77]崇徳天皇の中宮であり、後に女院となって皇嘉門院と呼ばれた藤原聖子に仕えた。
上の歌は、聖子の異母弟であり猶子であった九条兼実の家で行われた歌合において、「旅宿逢恋」を題として詠まれたもの。
聖子の父は[76]藤原忠通(法性寺入道前関白太政大臣)。また、聖子の異母弟に[95]慈円(前大僧正慈円)、甥に[91]九条良経(後京極摂政前太政大臣)がいる。
原歌:
難波江の芦のかりねの一夜ゆえみをつくしてや恋ひ渡るべき
作者は[88]皇嘉門院別当。[77]崇徳天皇の中宮であり、後に女院となって皇嘉門院と呼ばれた藤原聖子に仕えた。
上の歌は、聖子の異母弟であり猶子であった九条兼実の家で行われた歌合において、「旅宿逢恋」を題として詠まれたもの。
聖子の父は[76]藤原忠通(法性寺入道前関白太政大臣)。また、聖子の異母弟に[95]慈円(前大僧正慈円)、甥に[91]九条良経(後京極摂政前太政大臣)がいる。
常夏