原歌:
しのぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで
作者は[40]平兼盛。
上の歌は天徳内裏歌合の20番(最後)で、[41]壬生忠見の「恋ひすてふ」の歌と合わされたもの。なお、このとき[40]兼盛は他にも10首の歌を提出しており、うち2番は同じく[41]忠見との勝負であった。
元は兼盛王といったが、臣籍降下した。[15]光孝天皇の玄孫とされるが、系譜には不審な点があり、鵜呑みにはできない。
離婚した妻が赤染時用と再婚し、[59]赤染衛門を産む。[40]兼盛は自分の娘であると考えて親権を争ったが、認められなかった。
[59]赤染衛門の曾孫に[73]大江匡房がいる。
上述の天徳内裏歌合において、[44]藤原朝忠と3回合わされ、1勝2敗となっている。